「文章題を解く」ことの教育的な狙い
娘(7歳)の算数の文章題を見ていて思ったこと。
算数の文章題は次の3つのステップで解くようになっている。
- 問題文を読んで、式を立てる。
- 計算をする。
- 答えを出す。
1は読解力と理解力を必要とする。
どのような前提条件が与えられていて、何を求めるべきなのかを明確にできないと式を立てることは難しい。
1で間違えるのは、勘違いを除けば問題を理解できていない場合が多い。
日頃からこうした文章に慣れ親しみ、考えるみることが必要だ。
2は計算力を必要とする。
計算は訓練あるのみ。
特に小学校レベルの文章題は、筆算による四則演算が重要である。
筆算に限って言えば、徹底した手順への準拠と1桁-1桁の演算結果のパターンを覚えてしまえば、頭を使う必要はないと言っても良い。
2で間違えるのは、計算ミスである。
計算ミスは訓練によって少なくすることはできるが、なくすことは難しい。
いわゆるヒューマンエラーなので、見直しをすることが大切である。
3は冷静さと慎重さを必要とする。
2までできれば正解にたどり着いたも同然なのだが、ここで油断したり、答えを急いだりしてはいけない。
1で明確に理解したことをもう一度思い出して、正しく答えを導いて欲しい。
- 単位まで正しくかけているか。
- 「2の計算の答え」と「文章題の答え」は別の物ではないか。
3で間違えるのは、あまりにもったいない。
最後まで落ち着いて問題に取り組もう。
ここでSE的な考察を加えてみますと、
- 問題文を読んで、式を立てる。 → 入力(INPUT)
- 計算をする。 → 演算、記憶
- 答えを出す。 → 出力(OUTPUT)
(1~3の流れ) → 制御
と考えることができます。
情報処理の基本の「キ」で出てくる「システムの5つの機能(入力、出力、制御、演算、記憶)」です。
このように考えますと、「文章題を解く」というのは極めてシステム的な活動であると言えます。
私はこれまで、「文章題を解く」ことの教育的な狙いは、脳の発育を促すある種の訓練のようなものだと思っていました。
しかし、真の狙いはシステム的な手法で問題解決を図ろうとする姿勢を身につけることにあるのかもしれないと思い至りました。
はたして本当のところは現役の先生方に伺ってみるしかありませんが、私個人としてはこのように考えて、子供たちの「文章題」に付き合ってみたいと思います。