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(作成)  2010/12/06 02:59:50  はぐれSE さん
(更新)  2010/12/22 23:38:03  はぐれSE さん
(バージョン) 6

社会人がとるべきでない5つの態度

キャッチーなタイトルが局所的に流行っているらしいので、私も日頃考えていることをネタにたまには語ってみたいと思います。

自営でお仕事をしている身ですから、会社員のようなしがらみとは無縁なのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、自営でやっているからこそ社会との関わり方については敏感にならざるを得ないワケでして、世の中を渡っていくのにこれだけは決してやってはならないと思うことを以下につらつらとまとめてみた次第です。

社会人がとるべきでない5つの態度

  1. 邪悪な意志によって人を欺き、人を陥れ、決して悔い改めることのない態度
  2. 自ら責任をとらずに、人に責任を押し付ける態度(無責任)
  3. 見て見ぬふりをする態度(無関心)
  4. できないこと(無能)
  5. 知らないこと(無知)

まず、タイトルでは「社会人」に限定しているかのように表現していますが、実際には「全ての人」がこれに当てはまると私は考えています。

何故なら、人間は単独で生きていく生き物ではなく、集団社会を形成して生きていく生き物だからです。

つまり、「全ての人」が「社会人」だと私は考えているということです。

しかしながら、集団社会が形成されれば、その大きさによって適切な組織が編成され、組織の中で個々人には異なる役割が定義されてくるものです。

この役割を「組織のトップ(頂点)」、「組織のリーダー(幹部)」、「組織のメンバー(構成員)」の3つに大別した場合、役割に応じて「とるべきでない」度合いが多少違ってくるかもしれません。

その辺りも加味して、以下、語ってまいります。

邪悪な意志によって人を欺き、人を陥れ、決して悔い改めることのない態度

これは、本当に「全ての人」が忌避すべき態度だと思います。

そもそも人間が集団社会を形成する理由は、共通の目的を達成するためであると考えられます。

「国家」であれば「文化的・文明的な意味合いを含む生存」、「企業」であれば「継続した営利」等が共通の目的と言えるでしょう。

共通の目的を持つ者同士が互いに互いを信頼し、依存することによって、目的達成のために適切な役割分担を果たした姿が組織です。

そのため、組織の維持には、組織を構成する全ての人間の相互信頼が不可欠となります。

ところが、「邪悪な意志によって人を欺き、人を陥れ、決して悔い改めることのない」人間は、決定的に相互信頼の前提を破壊してしまいます。

例えば、誰かが誰かを傷つけてしまったり、誰かに迷惑をかけてしまったりした事案を考えます。

もしそれが過失であったならば、その事案は誰にでも起こりうる問題であり、さらには立場が逆転することがあってもおかしくない問題でもありますので、もちろんそれなりの反省や謝罪、賠償が必要ではありますが、基本的に組織を揺るがす相互信頼の破たんにはつながらないと思われます。

仮にそれが故意であったとしても、そこに至る過程に誤認や誤解など故意に至るそれなりの原因があったり、刑に服し、二度と同じ過ちを起こさないと悔い改めたりするのであれば、相互信頼が回復される場合もあるかと思います。

しかし、故意に誰かを傷つけ、それを反省しない、謝罪しない、賠償しない、改めないのであれば、相互信頼を維持することは到底不可能です。

殺人を犯した者に、何ら更生の余地がなく、再犯の可能性が高いのだとしたら、果たして社会はその人間を許容することができるでしょうか。

死刑にせよ、無期刑にせよ、二度と社会に出てこないよう隔離せざるを得ないと結論したとしても全く不思議なことではないと思うのです。

そういうワケで、社会人としては「邪悪な意志によって人を欺き、人を陥れ、決して悔い改めることのない態度」は決してとるべきではないのですが、これは語るまでもなく当然の事でしょうし、実際にほとんどの人はこのような態度をとることがないことを私は確信しています。

自ら責任をとらずに、人に責任を押し付ける態度(無責任)

さて、この態度は「組織のトップ(頂点)」、「組織のリーダー(幹部)」は常に忌避すべきです。

組織の進むべき方向性を示したり、個別の事案を判断したりといった意思決定や、資源配分の調整といった組織の目的に対する成果を決定づける役割を任された者には、当然、結果責任が伴います。

もし結果が出なかった場合、その原因が何であったとしても相応の責任を負わなければなりません。

責任逃れに走ったり、部下である「組織のメンバー(構成員)」に責任を押し付けたりする態度は、決定的に組織の相互信頼を棄損する怖れがあります。

ダメな上司の典型例として、部下に全てを丸投げする上司の話が引き合いに出されますが、全くその通りで、もし「組織のリーダー(幹部)」がそのような人間であったのならば「組織のトップ(頂点)」は即刻対処しなければならないと私は考えます。

一方、「組織のメンバー(構成員)」は必ずしもこの限りではありません。

例えば、前工程のアウトプットが出て来なければ、自分が任された工程にインプットが来ないため、そもそも役割を全うすることができません。

この場合、自分がアウトプットできなかったことに責任を負いようがないのです。

また、上司の間違った指示に従った結果、自らのアウトプットが出せなかった場合も然りです。

結果責任という観点で見た場合、一般に「組織のメンバー(構成員)」は結果責任を負わない場合が多いと思います。

例えば、赤字でも続けなければならない事業に携わる場合、赤字であることの責任は少なくともその下で働く「組織のメンバー(構成員)」にはないと思います。

計画された赤字水準を達成できれば「組織のメンバー(構成員)」は責任を全うしたと考えるのがフェアでしょう。

組織のヒエラルキーという観点で見た場合、一番下層の「組織のメンバー(構成員)」にはそれより下に責任を押し付ける相手がありません。

したがって、専ら「自ら責任をとらない態度」を忌避すべきとなります。

見て見ぬふりをする態度(無関心)

この態度も「組織のトップ(頂点)」、「組織のリーダー(幹部)」は常に忌避すべきです。

組織やそのメンバーが悪い方向に向かっているのを見て見ぬふりをすれば、悪い結果になることは明白です。

結果責任を負うべき立場にある人間は、事なかれ主義を止め、悪いものは悪いと指摘する毅然とした態度が好ましいと思います。

少なくとも、それを放置しておくことは組織の目的の達成にとってマイナスであり、目的を達成できない組織は存在意義を失う怖れがあるということです。

一方、「組織のメンバー(構成員)」は必ずしもこの限りではありません。

周囲を見ずに集中して自らの役割を全うすることが良しとされる場合もあるのです。

ノイズを排除して自らの役割に没頭することで生産性を向上させて、高いアウトプットを狙うというのは、役割分担して編成した組織の真の最適解なのだと思います。

できないこと(無能)と知らないこと(無知)

「できないこと」「知らないこと」は「組織のトップ(頂点)」は常に忌避すべきです。

少なくとも現時点で無能、無知を自覚しているのであれば、今すぐその向上に努めるべきです。

目的を達成するために必要な能力、知識を持っていないトップを頂いた組織はとても不幸です。

何故なら、下がどう繕っても組織の目的が達成される見込みが薄いからです。

目的を達成できない組織は存在意義を失う怖れがあります。

一方、「組織のリーダー(幹部)」、「組織のメンバー(構成員)」は、一時的に「できないこと」「知らないこと」を許される場合があります。

どんなことだって、誰でも最初は不慣れなものです。

技術的な作業であれば熟練がモノを言うワケで、新入りにそれを望むのは酷というものです。

むしろ、組織として大切なのは「教育」であったり、「フォロー」や「カバー」であったりします。

それができるのは結局、上司なのです。

自分の部下に関心を持ち、部下に仕事を任せたことに対して責任を持つということが、上司のあるべき姿だと私は思います。

ここで、「できないこと」「知らないこと」はトップに限らず、「全ての人」が忌避すべきではないかという厳しいご意見もあるかと思います。

そのようなご意見は、実際には「できないことをできないままにすること」「知らないことを知らないままにすること」を指摘しているのだと私は考えます。

それはすなわち「良くないことをそのままにしておくこと」であり、「見て見ぬふりをする態度」のことです。

部下がいつまでも育たないのは、実はそれを見て見ぬふりしている上司の問題なのだと私は思うのです。

逆に、「組織のトップ(頂点)」であっても、今この瞬間に「できないこと」「知らないこと」は許されるのではないかというご意見もあるかと思います。

しかし、組織のトップに限って言えば、その無知や無能が組織全体の死活に関わる決定的な要素であるということを認識しておかなければなりません。

総理大臣が無知で無能だとしたら国民は不安で堪らないですし、社長が無知で無能ならこの会社は大丈夫だろうかと心配になります。

それほど「組織のトップ(頂点)」に課せられている役割は大きいのです。

しかし、だからと言って私は「組織のトップ(頂点)」に全知全能を求めているのではありません。

頂点に立つものとして必要とされる能力や知識に限って、絶対不可欠だと考えるのです。

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